無罪判決を書くと出世できない?[edit]

定期的に現れるネタだと思われるが,小学館の「週刊ポスト」が裁判官ネタを書いている。2010年11月19日号「検察による有罪率『99.9%』と裁判官退職金『8千万円』の関係」。

記者の引用が悪いのかもしれないが,判検交流があるから裁判官は身内である検察に甘い判決を書く,という三井環氏の論旨は,非常に説得力が乏しい。政治過程に影響力を持つ人なら,この部分をちらっと目にしただけで,後は読むに値しないと安心して判断できる。売れる本と,政治的に力を持つ本の差は意外と大きい。もし,世の中を変えようとするなら,単に売れる本を書く以上の才覚が必要だ。

無罪判決を出した人は左遷される,というのはよく言われることだが,実証研究に耐えるかは難しい。幾ら統計的に顕著な数字を出しても,無罪判決を出したから左遷されたのか,裁判官としての能力が低かったから左遷されたのか,切り分けない限り,売れる本にはなっても,世の中を変える本にはならない。(むしろ売れる本にすることすら難しいかもしれない。)十分な説得力のない判決をしばしば書くから左遷された裁判官と,無罪判決を書いたから左遷された裁判官は,おそらく非常によく重なるだろう。その中から,非常に説得力のある判決を書いているにもかかわらず無罪判決を書いたがために左遷された裁判官を切り分けるのは簡単ではない。(但し,極めて困難とは思わない。5年程度の経験を積んだ優秀な裁判官なら,見分けることはできるだろう。判決文は単に説得的な文章であり,奥義は必要ない。)

最近,松川事件差戻後上告審判決の少数意見を読んだ。下山事件など,占領期の,いまでも謎が多く残る事件の一つであり,松本清張を始め,さまざまな作家に着想を与えてきた事件である。その少数意見?無罪の論陣を張った少数派だろうか?否。逆である。この事件の裁判は,最高裁が高裁の有罪判決を破棄し,差戻し後,高裁が無罪判決。上告審で確定,という経緯をたどった。最後の,確定した最高裁判決の少数意見は,有罪の立場に立つ。

この少数意見は一人の裁判官(下飯坂潤夫。裁判官出身)が書いている。非常に長大な文章である。少数意見を書く最高裁判事は,文章を全て自分一人で書く必要がある(少なくとも現在はそうであり,おそらく当時もそうだったのだろう。)。多数意見なら若手の調査官が下調べから下書きまでしてくれるのとは大違いである。長大な少数意見を一人で書くことは,老人には楽な仕事ではない。下飯坂潤夫判事の少数意見には,無罪判決への強い挑戦が読みとれる。所々,引用をするのも若干躊躇するような激烈な言葉も見られる。

飯坂潤夫判事の少数意見は政治的なのだろうか?勿論,そう評価することも可能だろう。しかしそれは単にレッテルを貼っただけであり,文章を読んだことにはならない。飯坂潤夫判事の少数意見を読むと,結論がどちらになるにせよ,裁判官の書く文章(判決)が満たすべき一定の品質への強い執念が読みとれる。三井環氏らが世の中を変えようとするなら,こうした敵と戦わなければならない。判検交流がどうこうとお茶を濁している場合ではない。


添付ファイル: file仁義「無実の者など存在しない」「無実の可能性もあります」.jpg 518件 [詳細] file仁義「無実の者など存在しない」「同意できません」.jpg 531件 [詳細] file仁義「無実の者など存在しない」.jpg 598件 [詳細]

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Last-modified: 2020-03-20 (金) 13:45:19